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百人一首から教わる What is コピーライティング

百人一首の中に、「男性に夜通し待ちぼうけをくらって、とうとう明け方の月を見ちゃった。ああ、やだやだ」という内容の歌が2首取り上げられています。一つは21番素性法師(そせいほうし)の歌、もう一首は59番、良妻賢母の才女で名高い赤染衛門(あかぞめえもん)の歌です。いずれ劣らぬ秀作ながら微妙に違うこの2首を題材に、コピーライティングの奥深さ、日本語の懐の深さについて考えてみました。古典の専門家ではないので、細かい突っ込みはご勘弁を。

1,000年前の2人のコピーライターに学ぶ

今来むと言ひしばかりに長月の有明の月を待ち出でつるかな(素性法師)

素性法師は、桓武天皇のひ孫で、百人一首12番の作者、僧正遍昭(そうじょうへんじょう)の息子。天智天皇と持統天皇、藤原俊成と藤原定家など、親子そろっての登場は、百人一首では割とめずらしくありません。法師とあるように、素性法師は男性ですから、この歌は、待ちぼうけを食らった女性の気持ちになって詠んだものです。

冗長な調べは、今か今かと待つ夜の長さそのもの

「すぐにでも来るようなことを言うから、この長月の秋の夜長をずっと待っていたのに。とうとう朝の月の出を迎えちゃったじゃないの。」今風に訳せばこんな感じでしょうか。「ああ、まったく長い夜だったこと」。待たされた女性の心情が、「長月の」の長いという字でちゃっかり表されていますし、「長月の有明の月」と、やたらと「月」の“音”と“字”を何度も繰り返すところに滲み出ています。さらには、「有明の月を待ち出でつるかな」と、終わりに近づくにつれて調べを冗長にしている点も、素性法師の意図が見て取れる、歌詠みの高等テクニックです。

きれいな文章は、女性の立ち姿のように美しい

声に出してみれば、自然と腑に落ちると思います。歌の途中からぐだぐだ、ぐずぐずしていて、その音のまだるっこしさが、待ちぼうけを食らった夜の長さとシンクロし、共鳴し、増幅されて、感覚的によく伝わってきます。そのくせ、愚痴ってばかりではなく、なんとなく凜とした読後感を残しているところは、作者の腕なのでしょうね。日本語には、声に出してみて、はじめて立体的に広がる景色というものあります。また、文字面、姿を見て、文章の意味とは別に頭に飛び込んでくるメッセージもあります。コピーライティングも一緒。きれいな文章は女性の立ち姿のように美しく、犯しがたく、味わい深いものです。素性法師の歌は、言葉が意味の積み重ねだけではないということを、あらためて気づかせてくれました。でも、実は、個人的にもっとグッときた歌があります。次の赤染衛門(あかぞめえもん)の歌です。

やすらはで寝なましものをさ夜ふけてかたぶくまでの月を見しかな(赤染衛門)

この歌の出だしが、いいじゃありませんか。さきほどの素性法師の歌は、「今来むと言ひしばかりに長月の」で始まりました。「すぐに来るみたいなこと言うからさあ」と、相手の非を責めるところから切り出した。つまり、理性、理屈が先に立っていました。一方、こちらの歌はどうでしょう。「やすらはで寝なましものをさ夜ふけて」が出だしです。訳せば「あ〜あ、さっさと寝ちゃえば良かった。私ってバカね」って感じでしょうか。他人を責めるより、自嘲ぎみで、毒がなくて、恨みがましくなく、こんな女の人、かわいくないですか。「あ〜あ、さっさと寝ちゃえば良かった。あなたのことずっと待って、朝の月なんか見ちゃったじゃないの。ばっかみたい。」この歌を読むと、私は、なぜか、平安時代の女性というより、気っぷのいい江戸の柳橋の芸者さん(って知りませんが)みたいなイメージが重なってくるのです。結局、利くコトバとか、コピーって理屈じゃないんだなあと、つくづく教えられる歌でもあるのです。

「ふわっと」語り出す、その呼吸が赤染衛門の歌に

昔、若かった頃、会社案内の社長挨拶文やイベントのパンフレットのイントロの文章をよく書きました。「ご挨拶」に始まり、「時代背景」「隠れたニーズ」「自社の強み」「新技術や新商品」「差別化」「開発背景」「具体的なベネフィット」「将来のビジョン」とかをギュッと詰め込んで、仕上げるわけです。言うは易し。されど簡単じゃない。書き進むうちに、袋小路に入ってしまう。形や長さの違ういろいろな積み木を箱に収めていく、頭の中はまさにそんなイメージです。積み木の順番を変える。長さを、形を変えてみる。でも、入らない積み木はどうしても入らない! そう、文章は理屈の積み木の並べ替え、積み上げじゃないんです。イントロコピー書きの千本ノックをこなした末のある日、ようやくそのことに気づきました。そして出した答えが、「ふわっと」口に出して語り始めること。伝えたい思いを、目の前にいる伝えたい人に語りかける調子で、言葉を体の内から外に「ふわっと」リリースする方法でした。そうすると、あれだけ滞っていた言葉が、次から次へと繋がって出てくるではありませんか。積み木がぐにゃぐにゃと柔らかくなり、渾然一体となって狭い箱のスペースにどんどん吸い込まれていくから、不思議です。大切なのは、肩の力を抜いて「ふわっと」柔らかく語り始めること。その感覚が、赤染衛門「やすらはで寝なましものを」の出だしを読んだときに、ああ、これ!これ!と、生々しく甦ってきたのです。

よく伝わるのは理屈じゃなくて、心かもしれない

赤染衛門は、清少納言や紫式部、和泉式部とも親交があり、平安の四才女ユニットの一人です。知名度こそ他の3人にはかないませんが、きつい性格の清少納言や、屈折した紫式部、恋多き和泉式部と違って、知的で落ち着いた、夫婦仲も良い、なかなかの女性だったそうです。実は、この歌は、赤染衛門の実体験から詠んだものではなく、待ちぼうけ体験をした赤染衛門の姉妹になり代わって詠んだ歌と言われています。だからと言って、少しも、この歌の素晴らしさが曇るわけではありません。伝えたいのは、理屈じゃないんです。よく伝わるのも、理屈じゃないんです。心なんです。志なんです。歌もコピーも。日本語って、いやぁ、実に奥が深いですねえ。